しゅいその「140文字だけじゃ伝えられない思い」

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初音ミクオリジナル曲『北のいちばんぼし』の裏側と、震災のときのおはなし

ご存知の方もいるかもしれませんが、私は生まれも育ちも北海道です。
そんな私が北海道をテーマにした楽曲を制作しました。

『北のいちばんぼし』とは

以前に北海道とピアプロの公式コラボに応募した楽曲で、北海道のキャッチフレーズ「その先の、道へ。」がテーマになっています。結果は残念ながら落選でしたが、このメロディーは気に入っていて、私が好きな北海道をテーマにしたこともあり、いつかはピアプロ以外でも公開したいと思っていました。
今年は北海道命名150周年という節目の年でもあり、何とかこの機会に公開したいという思いがありました。また、先月に北海道で発生した震災のときの出来事も、この曲を公開した背景にあります。
ここでは、私が実際に体験した震災の出来事と、それがこの曲にどのように影響を与えたのか書いていきます。あのときTwitterの140文字に収まらなかった部分には一体何があったのか、初めて書くことになります。

それは突然起きました

私は真っ暗な夜の中、ふと目が覚めました。
そのときは弱い揺れでしたが、すぐに大きな揺れが来ました。それも、生まれてから一度も経験したことがないような。
さっきまで寝ていたはずの体は不思議と軽く動き、急いで机に下に逃げ込みましたが、揺れが収まるまで出来たことは、真っ暗闇の中で揺れに身を任せることだけでした。

暗闇の中ただ夜明けを待ちます

やがて揺れは収まりましたが、どうやら停電しているようで家の中は真っ暗のままでした。
懐中電灯や携帯電話の明かりを頼りに家の様子を見回しました。このとき時計は3時を指していました。棚から落ちた食器が落ちて割れていたりもしました。
家の中を片付けようとしていると何度か余震があり、全く落ち着きませんでした。
結局寝ることも出来ませんでしたが、停電は続いたままで、暗闇の中で夜を過ごしました。
その間聴いていたラジオでは、北海道全域で停電が発生していること、大規模な土砂崩れが発生していることを伝えていました。

電気のない生活

眠れないまま5時の夜明けを迎えました。

電力が回復せず冷蔵庫の中身がダメになるので、母が残り物を食卓に出してくれました。
ガスは使えるそうで、停電の中でも温かい食事をいただくことができました。

食事の後ももちろん、PCでの楽曲制作やインターネットも出来ず、本を読んだりして過ごしました。(ちなみに当時のツイートは携帯電話から投稿していました)

外も明るくなったので周りの様子を伺うことが出来ました。
近くの道路に一部穴が開きましたが、それ以外の風景の変化はあまり見られず、私の住むところは被害が少ないようでした。

その日は停電が解消することなく日没を迎え、再び家の中は真っ暗になりました。

そのとき私は夜空を見上げてみました

夕食はろうそく明かりの中、家族で食事をとりました。

食事が終わると、暗い中だとやることもないので、少し怖いですが暗い屋外に出てみました。
街頭も点いておらず、周りのどの家でもやはり電気は点いていません。遠くまで暗闇が広がっていました。

しかし、私がふと空を見上げたときでした。そこには今まで見たことがないような数の星が輝いていたのです。停電の中で不謹慎かもしれませんが、私はこのとき
「北海道にもこんな綺麗な星空があることを知らなかった。地震という辛い経験があったからこそ見える景色もあることに気づいた。だから前を向いていこう」
と思ったのです。
今思えば、そのとき何を考えていたのかさっぱりですが、その星たちに勇気づけられたことは間違いなかったのです。

地震の影響が少しずつ明らかに

その次の日も停電は続き、暇だったので少し近所を見て回ることにしました。

近くの地域では道路が陥没して、規制線が貼られている箇所もありました。

一部では電気も少しずつ回復しているようで、営業しているお店もいくつかありました。
しかし、コンビニやスーパーは食料品などを中心に品薄になっていて棚がほとんど空になっていました。

まだ点いていない信号機も多く、渡るときはかなり怖かったです。

そしてその日の夜、私の地域でもようやく電力が復旧しました。
久しぶりにテレビをつけてみると、今まで音でしか入手できなかった情報を、ようやく映像で見ることが出来ました。
地震発生から約40時間後のことです。

電力復旧後も続く影響

電力復旧後、交通機関も少しずつ動き始めましたが、コンビニなどでは品薄の状態がしばらく続きました。長いところだと1週間くらい。
時間はかかりましたが、物流、電力、水道などもやがて回復し、震災前とほとんど変わらない状況になりました。

しかし、あのとき貼られていた規制線は今でもそのままになっていました。つまり、いまだに自宅に戻ることが出来ない方がいることを意味します。
私はその近くを毎日通るので、一日たりとも忘れたことがありませんが、やがてこのことが人々に忘れ去られてしまうのだと思うと、私は悲しい気持ちになります。

楽曲にこめた想い

私はあるとき、ふとあのときの星空を思い出しながら、『北のいちばんぼし』を一緒に思い出していました。北海道に住む人々の温かさを夜空の星に例えて書いた歌詞が、私の中であのときの星空の光景とちょうど重なったのです。
震災は嫌な出来事で忘れたいこともあるけれど、忘れてほしくないこともある、そんな私の想いをこの曲に込めています。

この楽曲を制作するために、アレンジを見直したとか、新しいソフトを導入したとか色々ありますが、そんなことはどうでも良いんです。
曲を聴きながら北海道のことを思っていただけるのであれば、私にとってそれ以上ありがたいことはないのですから。

長くなってしまいましたが、最後にこれだけは書いておきたいです。北海道の多くの地域は震災前と同じ生活を取り戻していますので、北海道にぜひ遊びに来てください!待ってます!